16.泡盛の色

『しほらい節』
酒や御万人に だんじよ豊まれる 飲めば百薬の 長の甘み
いかな心配事も 飲めば忘れゆり 酌み交わす酒ど 命さらめ

<歌意>
酒は万人に褒め讚えられているのも尤もなことであります、飲めば百薬の長の甘みがあるのですから、
どんな心配事があっても飲めばすっかり忘れてしまいます、心の合った友と酌み交わす酒こそ命を延べる最上のものであります

曲名の「しほらい」とは美しい、ゆかしいという意味です。首里にある鳥堀町、赤田町、崎山町の三つの町は通称、首里三箇と称されています。18世紀から19世紀にかけての琉球王朝時代の泡盛造りは、この首里三箇のみが認められていました。当時は約40の酒造所がこの地域に集まり、泡盛造りが行われていたようです。泡盛は王府や首里士族をはじめ冊封使歓待の場から庶民の生活の場まで様々な場所で愛飲され、さらには中国や江戸幕府にも奉納品として献上されています。

泡盛を題材にした歌はたくさんありそうですが、意外に少ないものとなっています。「酒は百薬の長」と諺がありますが、歌詞の中でも使用されていることを見ると沖縄でも古くからこの諺が使用されていたことが分かります。また、「どんな心配事があっても飲めばすっかり忘れてしまう。」現代においてもストレス発散で酒を飲む習慣がありますが、当時の人々も同じようなことを行っていたことを想像すると、何とも人間らしい本質を垣間見ることができます。酒を味わい楽しむ、今も昔も変わらない普遍性が伝わってきます。

今もなお変わらず泡盛を味わうことができるのは、日々、泡盛造りに正面から向き合ってきた多くの職人の方々の努力の結晶です。長い時間をかけ熟成の歴史を重ねた芳醇な泡盛は、「命の薬(ヌチグスイ)」としてこれからも多くの人々に愛され、新たな歴史と物語を刻んでいくことでしょう。

琉球古典音楽演奏家 親川 遥

瑞穂酒造

嘉永元年(1848)創業。琉球王朝時代、泡盛は貴重な酒として管理され、首里城下の3つ町(首里三箇)でのみ造られていました。
瑞穂酒造は、首里三箇(しゅりさんか)の1つである鳥堀町に創業した現存する首里最古の蔵です。
とりわけ伝統の「仕次ぎ」によって生み出される古酒(クース)は、芳醇の逸品として珍重されています