23.首里城 復興の色
「赤田花風節」
梅だいんす雪に つめられて後ど
花も匂い増しゆる 浮世だいもの
<歌意>
梅の木でさえ冬の間は雪に耐えてあの高貴な香りを身につけます。
人も困難を乗り越えてこそ、美しい花を咲かせることができるのです。
〈赤田花風節〉は琉球舞踊「松竹梅」の「梅」の舞踊曲として歌われます。松・竹・梅は慶事の象徴としておめでたい席でもよく使われますが、中国の「歳寒三友」が由来となっており「寒い季節に友とすべき三つの者」という意味をもちます。
松は古くから神々が宿る神聖な木と考えられてきました。また、一年を通して青々とした葉を茂らせる常緑樹で樹齢も長いことから、繁栄と長寿の象徴として人々から尊ばれてきました。
「国内のみならず、世界中に衝撃を与えた首里城火災。沖縄のシンボルである首里城の無惨な姿に多くの人が嘆き悲しみました。しかし、その数日後には首里城再建のために動き出す人々の姿がありました。職人による修復作業や、募金活動をはじめとしたボランティア、たくさんの人々がさまざまな形で「復興」への思いを一つにしています。火災による全焼という困難を乗り越え、人々の「復興」への思いがさらに美しい首里城の姿として形になることを願います。
琉球古典音楽演奏家 親川 遥
首里城
『首里城』では、琉球王国が270年もの長きに渡って中国と日本の支配を受けていたことから、中国と日本両方の特徴が取り入れられています。そのため、独自の建築様式が築かれます。
そのことがよく分かるのが、『首里城』の象徴とも言える建物の『正殿』です。正殿は中国皇帝の居城である「紫禁城」を見本にしているのではと言われています。
また、日本風の建築様式も見受けられ、中国と日本のいい部分を取り入れ、琉球流にアレンジしています。